昭和52年02月08日 戎浦家霊祭



 御礼を申し上げさせて頂いておったら、あの例えば百円硬貨のようなものを貯金箱に入れてね、そしてそれが一杯にならんと開かないという仕掛けの、なんかそんな感じらしいんですよね、それが何かその、今のプラスチックの白いので出来てるからはっきり判る、どこまで入ってると言う事が。それを最後にサッとこれを入れてしまって、パッとこう、開けてるところを神様の前で頂いたんです、御心眼で。
 まあ言葉で言うならば、ほんとにあの御霊もならまだ精進が、今日の御祭りを受ける、受ける資格というかね、受けれれるほんとに受けれれる、喜んで受けれれる、そしてああこれで安心したと。そういう働きをこのお互いがその、この御霊の御祭りにかけてきた思い、また真心といったようなものが、あの足りなかったところを一杯にしたと言った様な感じでしたね、これはまあ神様の方で頂いた。
 こちらへ御霊様へ御挨拶をさせて頂いたら、あのアヤメをね、それこそ十五本位ね、もう素晴らしく御生花にしてある、いわゆる低い所や高い所にあるでしょう、それを活けてこれは、御霊の安心の程度度合というものが、ひとつひとつそれを丁度こう、段々のように頂くんです、見事なお花ですけれども、その花が段々になっているところ、つぼみがあり、ちょっとつゆ開きがあると言った様な風にね。
 工程がこうあって、ああこれがこの、そういう例えばアヤメの花というのは、実るものではない、けれどもまあそのつどつどに安心していくでしょう、まあそのつどつど安心していくという安心立命と言った様なものではない、けどもそのつどつどに安心していけれる、そのそういう花を活けあげていくと言う所に、これから遺族の者、または御霊の精進がこれからなされて行く事だ。
 一番決定的にするものはね、私は今日ほんと驚いてしまった、美枝さんが学院に行っとるという事が、御霊の、戎浦の御霊のね、決定的おかげを頂かせることになるんです。それが初め座りかぶをきれいに刈り落としたり、泥落としたり洗って行く所に、その過程を頂くんですよ。だからこれがほんとに座り座りかぶと、お道の教師は座りのよいのがよいのだと言われておりますよ。
 これがほんとになら座り、人が助かるような働きになって来たとき、ほんとな戎浦のいうならば、御霊の助かりと言った様な事が決定付けられる、というお知らせを頂いたです。しかしほんとに尊いことですね、とにかくその、いわゆるその一心を取次の中にかけるという、これがいかに天地に素晴らしい響きをもつものかと言う事が分かりますよね。遺族の者の信心のいうならば、精進と御霊の精進とがあって。
 そのつどつどでも良いから、安心していけれるおかげが、いうなら段々安心立命のところまで、そういう安心が信心頂いとるおかげでといいうものが積もり積もって、ひとつの力にも、徳にもなるという感じ。今日の御霊の一番のなんて言うても喜びは、今日の御祭りをこのね、あのここまでお祭りをさせて頂く為に、いろいろ心を使うてきたその事が、あと足りなかったところ一杯あることはある、けれどもこれで良かったという感じであるそんな御祭りでした。